箏曲と弦曲

　かつて内田百�閨E米川正夫などという有名な文筆家たちが集まって、箏曲の演奏会を開いていました。その会の名前を、「ソーゲンカイ」といいました。どういう字を当てるのでしょうかと間いたところ、「桑原会」と当てますと、どなたかがいわれました。聞く者が、「くわばら、くわばら」と逃げ出すからだそうです。
　ところが、これは冗談で、この人たちは、玄人（くろうと） はだしの腕前の人たちでした。米川正夫（一八九一〜一九六五）は、ロシア文学者として有名ですが、東京における生田流筆曲の草分けの一人である米州琴翁（よねかわきんおう）（一八八三〜一九六 九）の弟であり、現在箏曲界最長老で、文化功労者・日本芸術院会員・人間国宝の米州文子（一八九四〜）さんの兄でもって、自分も実際に箏曲を教授したことがあるという人です。
　この会の正式名称は、実は「箏弦会」なのです。「箏曲と弦曲」の会なのです。「箏曲」と「弦曲」とを併せて「箏弦曲」といい、その演奏会だから、「箏弦会」というのだそうです。

　ところで、「箏曲」という言葉は、現在でも通用していますが、「弦曲」という言葉は、今では聞きなれない言葉になってしまいました。いわんや「箏弦曲」などといっても、ほとんどわからないかもしれません。

　そこで、ここでは、まず「箏曲」・「弦曲」という言葉について、考えてみましょう。洋楽では、「ピアノ曲」・「バイオリン曲」などといえば、それぞれの楽器の独奏曲のことをいいます。しかも、独奏曲といえば、もちろん器楽曲で、演奏者が、同時に歌も歌うなどということは、常識では考えられません。
　ところが、邦楽で、「箏曲」といいますと、必ずしも、箏の独箏曲とは限りません。独奏でも、「六段」の箏の独奏のような場合は例外で、普通は、たいてい演奏者が箏を弾きながら歌も歌います。八橋検校（やつはしけんぎょう）（一六一四〜八五）が、箏曲を始めた頃の「箏曲」は、箏の弾き歌いの歌曲だったのです。つまり、「箏曲」とは、「箏伴奏歌曲」のことだったのです。「六段」などの「段物」といわれる器楽曲は、八橋検校よりもっと後の時代に、現在の形に完成されたのではないかと思われます。

　次に、「八千代獅子」のような曲となりますと、これは、初めは、三味線伴奏の歌曲として流行したようです。ただし、本来は、尺八曲から、後に述べる胡弓という楽器の曲として移されたものといわれますし、また、器楽曲として独立させることもできる間奏部が有名ですので、三味線伴奏歌曲とだけ限定するわけにもゆきません。
　三味線のことは「三弦」ともいいます。そもそも、「シヤミセン」という言葉は、中国語の「三弦」の発音が訛って、「サンシェン」→「サミセン」→「シャミセン」というように変わってできたものです。古くは「さみせん」で、「三味線」は、その当て字です。なお、「三弦」を「三絃」と書こうとする人がいますが、江戸時代から「三弦」とも書いていましたし、現在のわが国の国語教育を尊重するなら、「三弦」と書くべきですから、ここでは、「三弦」で統一しておきます。「管弦」でも「弦楽器」でもみんな「弦」ですから、「三弦」だけ「三絃」と書くのは、なんとも不統一なのです。

　それはともかく、「八千代獅子」が、三弦伴奏の歌曲であるなら、これは、「箏曲」ではなくて、「三弦曲」、略して「弦曲」であるということになります。しかし、現在、「八千代獅子」では、三弦と箏の両方を伴奏に使うこともあります。その場合は、箏・三弦伴奏歌曲ということになり、これを簡単にいうなら、 「箏弦曲」が正しいということになりますが、さらに、簡単にして、たんに「箏曲」ともいうので、一般の人は多少混乱することになります。

　なお、こうした「三弦曲」すなわち、「弦曲」に、箏を合奏させることを始めたのは、生田検校（一六五六〜一七一五）であるというような説明がよくありますが、その証拠は何もなく、生田検校以前から三弦と箏の合奏は行われていたので、そうした説明は問題があることになります。

　もうひとつ、山田検校（一七五七〜一八一七）の創始した、いわゆる「山田流箏曲」は、例えば、「小督の曲」のように、「箏曲」といっても、必ず三味線が使われています。箏が重要な役割を受け持ってはいますが、音楽としての性格は、むしろ三味線音楽といえます。それでも、これも「箏曲」といいますから、「箏曲」という言葉には、場合によってさまざまな使われ方があるということを、まず注意するようにしてください。

　ついでにいえば、宮城道雄（一八九四〜一九五六）の作曲した有名な「春の海」は、原曲は箏・尺八二重奏曲なのですが、これもたんに「箏曲、春の海」などということもあります。

　しかし、たとえば「八段」という曲の三弦だけの重奏の場合にも、「箏曲、八段」などというのは、いささか混乱を招く使い方のようです。

　次へ　「手引」へ